演技の旅も終わらない

「台本から顔をあげ、相手役と対面し『対話』を成り立たせるためにあえて従来の台本ではなく、即興をベースに!」との度重なるエマさんからの発信に意義を感じ、新たな挑戦だと大いなる興味を抱いて臨んだ、5月公演への稽古と本番。

緒についた頃は、シーンのプロットに従い時間の制約もない中、現役時代のあの頃の居酒屋の風景が眼前に広がり、言葉が自然に湧き出して来て、素直に面白かった!但し、演者が多い家族チームやパン屋チームのシーンでの即興の擦り合わせは、ご苦労が多かったであろうことは想像に難くない。

即興を重ねるなか、エマさんからは、 ①即興はスタート前の準備が重要 ②シーンが始まる前はどういう心境か考える ③シーンでの役の目的や相手との関係などの設定を具体的に組む ④即興では何か喋らないとの思いに駆られ、会話が冗長になりがちな点に注意…etc.と、アドバイスが。

顧みれば、即興での台詞は、自分の立場や相手との関係性をくどく説き、あたかも「いにしえの昔の武士の侍が、馬から落ちて落馬して・・・」的に、懸命に同じことを繰り返していたような気もする。改めて本番の動画を見直すと、多くを語らずとも一連のシーンの流れが個々の関係性を紐解いてくれ、説明的な台詞は、削ぎ落とすことが必然だったことに気付く。

期間中に明樹由佳さんの稽古を受けた際、エマさん同様、このシーンの目的は?関係性は?と問われていたことを思い出す。加えて、彼女から次のような〝ゼロ幕〟という考え方も聞いた。「演者は個々に豊かな人生経験を積んでいるわけで、各自が抱えるその人生のバックボーンを加味して演じることが重要で、これは台本に従い及及として台詞を思い出している状態では無し得ず、即興でこそ得られやすい。」と。その初耳の言葉になるほど!と納得。ちなみに、ゼロ幕に関しては劇団四季に関連するコメントに、【・一つ一つの行動に目的を持つ ・一つ一つの行動に意味を持つ ・一つ一つの行動に理由を持つ事。これができない俳優は舞台上に存在できない。】と、あったのも目にした。

かんじゅく座5年生の私は、四回目のポケットの舞台。ふと思うのは、良い意味で今回が一番脱力していたような気がする。あの照明と効果音の中、確かに喧騒の居酒屋と宵の新宿中央公園に、実際に身を置いていると感じながら板のうえにいる自分がいた。即興を重ねたからか?

即興でも、台本があっても、目的&関係性&人生のバックボーンを念頭に臨んでいけるようになれるかどうか?つくづく〝演技の旅も終わらない〟と感じる終演後一ヶ月。

アベ

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