表現模索の旅の途中

新たな演目に向けた稽古は、エマさんから、「今回、台本は皆さんの即興で作っていきます。シーン構成を元に、どんどん取材を進めてください。」との言もあり、その趣旨に沿って作り込みが続いている。

この稽古に臨んで、私はこう思う。今回は具材(相関図・配役・シーンイメージ)が用意されたキッチンを前に、自らレシピを考案することを任されたシェフのようだと!

予め決められた台詞に縛られることなく、想像力を発揮して、具材の特徴をまず吟味。そして、その具材に適した調味料となるであろうバックグラウンド(役の個性・相手との関係性・吐き出す言葉の持つ意味と目的・各シーンの場所の想定…etc.)を熟慮しつつ、ある意味自由にストーリーの創作に関われていることを実感。壁は高いが楽しさを覚える。

今回稽古をしていて、ふと思い出すのは、一昨年暮れの絹川先生の〝インプロ〟と、即興劇に近かった〝ゴロロ〟登場の〝雨の日は嫌いです〟だ。

当時の稽古場日誌(2021年12月)を紐解くと、 「インプロワークショップに参加して」の表題で、小春ちゃんが、〝芝居に必要なエッセンス〟だと感じたこととして、「① 決められたスジやセリフがないので、まず相手のいうことをよく聞く。② それに柔軟に対応する。③ アイコンタクトや体のちょっとした動きも表現を助ける。④ 思いがけない状況になっても否定的にならず、その場を拾い上げて前に進める。…etc.」

そして、「『のぼるとゴロロ』の出会い」の表題で、アキさんが、「ゴロロは何を表現すればいいのか、のぼるの何を理解すればいいのか『そうだ身も心もゴロロにならなければ。』」

と、各々述べている点に、私も改めていたく共感。台本というレシピがない今だからこそ、経験出来る貴重な時間。書籍や過去の実体験から、即興の世界でも発揮出来るリアリティーある表現模索の旅の途中ってな感じかな!今。

アベ

エクササイズのその先に

 新年早々のシニア演劇ネットワークのメルマガで、エマさんの以下のコメント(抜粋)を目にしました。

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《コメント抜粋》

 今年は「みんなでつくる」舞台にしたいと思いました。演劇は相手あってのもの!相手役との交流なくして成立しないのだから!・・・というわけで、台本に目を落とさずに演じる即興で作っていくことに。でも即興の大前提は「集中」です。そこで!集中のための稽古から始めることにしました。演劇のワークショップでよくやる「エアキャッチボール」や「ミラー」で、相手の動きをしっかり観察してもらいます。

         《以上》

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 確かに、年明け以降再開した稽古では、その二つのエクササイズを行っています。

 正直、私は指示されるままに漠然とやっている感がありました。しかし、その効果や狙いの本質を知れば、更に真摯に向かい合えると思い、演劇に関する種々のエクササイズを調べてみたところ、次のような解説に出会いました。

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 【エアキャッチボール】

 必要なのは相手を想い想像する力。友達と共通のボールをイメージする必要があります。重さ、大きさ、弾力などある程度の条件を共有化します。また、相手のモーション(動き)を見て、ボールがどの方向に、どの速度で飛んでいるかをイメージします。うまくできるようになると、相手が投げたボールを目で追うようにしてキャッチしています。目の動きにも注目です。この動作は、脳機能を非常に刺激するものです。

 投げる(動)、受け取る(静)の切り替え。慣れるまでは約束として投げる→キャッチする→投げる順番で丁寧にいきましょう。丁寧な中にも転がす、上に投げる、強く投げるなど投げる状態を変えることで楽しむことができます。

 もしかしたら、気持ちの切り替えや話が聞きにくい要因として、この静(相手の話を聞く)と動(自分の想いを伝える)の切り替えができにくいのかもしれません。是非、エクササイズの中から刺激を受けてください。

    【ミラー】

 集中力をゲーム感覚の中で育成する最高の手法の一つである。二人で1チームを作る。向かい合って立つ。相手の全身が目線に入る距離をとる。一人が鏡の前に立つ人物であり、もう一人は鏡の中に映る前者の映像である。鏡の前の人物がなるべく簡単な動作、しぐさ、顔付きをする。もう一人はその動作、仕草、顔付きを時間差が生じないよう、かつ正確に真似る。

 このトレーニングは集中を高めるためのものであるから、次のような原則を守ることによって目的が達成できる。①話をしない。②鏡の前の人はゆっくりしたわかりやすい動作を行う。③鏡の前の人はリーダーでもあるから、相手が自分の動作をきちんとフォロー出来るかどうかを絶えず確認しながら新しい動作へと発展させなければならない。④真似する動作は出来る限り時間差がなく、まさに鏡の中の映像のごとく正確に表現されなければならない。⑤エクササイズの最高の秘訣は、相手の呼吸を観察し、呼吸を合わせ、呼吸がムーブメントのスタートや変化のサインであることを発見する。⑥また同じように目線が大切なサインであることも発見する。

 俳優修業で、「ミラー・エクササイズ」は、感性にとって最高の基礎トレーニングである。このエクササイズは集中力を高めるための科学的なアプローチである。

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 各エクササイズの真意を踏まえて、稽古に集中!集中!の意を新たにした次第です。

           アベ

初舞台

 初めまして。〝八木下先生〟と〝下男〟を演じた、通称〝しばさん(柴崎 孝)〟です。なんとか初舞台を乗り切ることができて、一安心しているところです。

 1年半前、パリテを観劇。
社会問題をテーマとする演劇。やってみたいと思いました。でも、せりふを覚える自信がありませんでした。結局、尻込み。半年前、「あの日のトンネル」を観劇。カーテンコールに大感激。大変失礼ながら。いい歳をしたおじさんおばさんがハイタッチをして、お互いのがんばりを称えあっているではありませんか。きっといろいろ大変なこともあったんだろうなと思いました。私もあんなおじさんになりたいと決意しました。

 そして初舞台。稽古の過程で、せりふの不安は払拭されました。しかし、本番でポッカリせりふが飛んでしまうこともあるのではという不安はつきまといました。カーテンコール。これでなんとか、かんじゅく座の一員としてやっていけると思いました。

 私は別人格に変身できる演劇が大好き。今後ともよろしくお願いします。
           しば

今年の名誉都民!

 スイカチームの皆様、「出前公演」千秋楽、お疲れ様でした。

 エマさんが今月、「くちづけ」の公演を案内している文中に「劇場は新宿ど真ん中のシアタートップス。」「演劇人には非常に人気のある劇場で、カリスマ支配人が蒸発したあとは不安定ではありましたが、下北沢の本多さんが支配人となり嬉しい復活を果たしました。」とありました。

 この本多さんとは、言わずと知れた本多グループ社長の本多一夫氏。この〝シアタートップス〟を加えて、現在所有する劇場は9つ。8つは 〝本多劇場〟を含めて、全て下北沢にあります。世界一の劇場主(こやぬし)だそうです。今回は、この本多さんについて記してみます。

 同氏は今年度の東京都名誉都民に選ばれました。顕彰事由は、「個人劇場を数多く運営し、演劇人の夢を支援し続けてきた。」「その活動は演劇界の発展のみならず、下北沢を演劇の街として活性化させることにつながっている。」とあります。

 さて、今年8月の某日。私は本多プロデュースの芝居「続・歌う!ペンション ビーチサイドやまびこ」の稽古場で、本多さんと一緒に立稽古をしていました。本多さんも出演者のお一人。そこにもたらされたビッグニュースが「名誉都民」内定の一報でした。

 この日、稽古が終わった後に、出演者全員がポケットマネーを出しあって、ささやかな花束を贈呈しました。祝賀会はコロナのために繰延になっています。

 同氏の自伝「演劇の街をつくった男」を読みますと、
「わたしは札幌の俳優養成機関に居た時代に~芝居をやりたいのに場所がない~という苦労を知っている。」「だからわたしは演劇が忘れられず、芝居をしたい人たちを応援したい。この思いから劇場経営にのりだした。」と記しています。たぶん、ご本人こそ演劇が忘れられず、芝居をしたい人たちを応援したい気持ちだけで、自分の生き方を変え、私財を投げ打ち、街を変え、日本の演劇が現在の形になる大きな役割を果たしたのです。

 さらに次のような記述もあります。「(新東宝のニューフェースとして俳優デビューしたが)残念ながら夢の途中で会社がダメになって、その後は飲み屋の親父になり、思いのほか儲かって、今はこうして劇場をつくって芝居の世界と関わっています。本当はもっと良い舞台役者になりたかった。」

 10月3日、名誉都民の顕彰式で本多一夫氏の紹介は、
嬉しいことに「劇場経営者」とあるだけでなく「俳優」の2文字が入っていました。
そしてスピーチでは、「今年88歳となりましたが90歳になるまで芝居は続けたい。」と語っています。

 来年80歳を迎える私にとって、なんとも心強い大先輩と芝居をご一緒できた夏でした。
           ヒコ

何でも変身そんな演劇の心を届けたい!

 燃えるような秋色の葉をすっかり落とし、玄関の正月飾りが出番を待っています。そんな師走、今年の後半から稽古に励んできた「花のき村と盗人たち」「タヌキの土居くん」の2本立て公演が、沢山の拍手の中で「みらい館」で幕を開けました。

 初めて経験する出前公演に心を浮き立たせ、無我夢中で台本の文字をなぞっては目を閉じ頭の奥に刻み込む。散歩の道すがら枯葉を踏む音を聞きながら「ありがとさんさんありがとさん」お経のように唱える。時には湯舟の湯気の中で。いつしか台本のセリフが自分の言葉になっていく小気味良さが嬉しくて風と空飛ぶ鳥にも話しかけ、道端のコスモスにはぐるっと回ってご挨拶、花たちの拍手を背に軽やかな足取りはもう夢の中、芝居の中のタヌキの土居くんです。

 仲間と紡ぐ芝居は楽しい。私は土居くん、狸の体型には自信がある。顔も丸顔、尻尾を付けて夜道を歩いたら演技はいらないと友人も納得の役を頂いた。衣装で悩んでいたらお友だちのアカネちゃんから提供された、腹太鼓の中身はこれまた年代物の銅製鍋。尻尾も耳も、みんな同じ団員仲間の温かい思いを背負って稽古は進んでいく。

 一番の難関はタヌキのメイクでした。試行錯誤を繰り返し初めての経験は身も心もタヌキに化ける、それは変身する楽しさを教えてくれました。アァ〜演劇は動物にでも花にも鳥にだってなれるんだ。それを観客に伝えたい!届けたい!

 そんな思いを乗せて、さぁ〜いよいよ出番です。タヌキが1匹舞台に吸い込まれて行きました。〝ありがとさんさんありがとさん、ありがとうならイモムシはたち〟皆さん最後までお読み頂き本当にありがとう!            秋生

ありがとさんさん子供達

 毎年恒例の出前公演が、12月16日に都内の児童館でスタート。今回の観客は16名の小学生。

 古稀が間近な私の記憶に、低学年で観劇した着ぐるみの劇団〝木馬座〟に、心が踊ったあの日が残る。それと同じく今日この時間が、心柔らかな子供達の未来まで、残れば良いなとの思いで舞台に立った。

 舞台は最上階の体育館。ガラス貼りの壁面越しに、初冬の優しい陽射し。あたかもオレンジ色のスポットライトのように我々を照らし、セットの木の葉も浮き上がらせて。

 開演すると、舞台に見入る子供達。〝土居くん〟のアクションに笑い、音楽の生演奏に拍手。そして、怖い〝かしら〟の動きには固唾を呑んで静まり返り…幼心の機微がストレートに舞台に届き、私達は嬉しさに包まれた。

 日暮れて終演。子供達と演者の「バイバイ」「有り難う」「楽しかった」の声と笑顔が飛び交って、体育館には温もりが満ち満ちた。

 〝正直であること〟〝見た目だけで人を判断しないこと〟〝仲良くすること〟の大切さを伝えたかった私達。子供達が何かを汲み取ってくれればとの思いもあるが…それよりなにより、「飛び出す絵本を見たように楽しかった!」と、思って貰えるだけで充分。素敵な時間を共有出来た、そんな一日。            アベ

役名の名前の不思議

 かんじゅく座の出前公演で「タヌキの土居くん」と「花のき村と盗人たち」の芝居をすることになり、稽古も佳境になってきている。土居くんを演じることになった私は、本名が土居なので、とても不思議な気がする。劇中で土居くんとよばれることに何の抵抗もなく、かえってとても嬉しい気持ちでいる。

 「タヌキの土居くん」の絵本の著者である富安陽子さんに、なぜ固有名詞がつくのか聞きたくて、絵本についていた読書カードを郵送した。すると、何日かして福音館書店の童話セクションの方より、下記の返信が!

ー福音館書店書簡 抜粋ー

 富安さんはある日、おかしな夢をご覧になりました。夢の中で、富安さんと土居さんは一緒に道後温泉にいくことになっていて、大阪駅発の道後温泉行き夜行バスで待ち合わせをしていました。待ち合わせのバスを見つけた富安さんが指定席に行ってみると、隣の席に座っていたのは、なんとタヌキでした。驚いた富安さんが「土居さんですか?」と尋ねたら、タヌキが「そうです」と答えてもっとびっくり!

 タヌキ曰く「わたし、仕事がオフの時はタヌキなんです」。その言葉に、「そうだったんですか」とすっかり納得した富安さんは、夢の中でタヌキとともに道後温泉に行きました・・・・ということです。

 その夢があんまり面白かったのでタヌキの土居くんのお話を書くことを思いついたそうです。自分からタヌキだということをカミングアウトする愉快なタヌキのお話を書こうと思われて、そうして誕生したのがこの「タヌキの土居くん」というわけです。

     ー以上ー

 絵本が、このようにして生まれたきっかけがおもしろいと思いました。

 なお、添付の写真は私が作成した、出前公演のポスターです。
         マリリン

モゥ~特訓中

 皆さんこんにちは。金太郎チームのよしおちゃんです。

 さて、今回の出前公演は「タヌキの土居くん」と、「花のき村の盗人たち」の豪華二本立てに決定しました。私は「タヌキの土居くん」で、校務員とイノシシの役です。

 早速イノシシの被り物作りに入りましたが、思うようにいかず大苦戦。でも楽しかった。3頭目にどうにかある程度自分で納得できるイノシシが出来て、衣装合わせでOKになりました。

 「花のき村の盗人たち」では、牛になります。牛の被り物は、前回の牛の役の方にお借りすることが出来ました。エマさんの甘い囁き「牛はセリフがないので覚える必要はありませんよ。」ここで、もう心がうごき、「最後に美味しい所があります!」の一言で心は決まりました。願ってもない役です。

 牛の決定から、家で牛の鳴き声の練習です。家では「もう~」で受け答えします。朝は「もう~」の挨拶からはじまり、トイレのノックも「もう~」で答えます。私は実兄と二人暮らし。先日の朝、兄に「お前昨日寝言いってたぞ。」と言われました。夜中に何度か聞こえていたようでした。

 本番まであとわずか。稽古も佳境に入り稽古場はさらに熱気を帯びています。奮闘は続きます。もう~もう~。
          よしお

〝エッ!オッ!〟と思って貰えたら

 以前、落語家の故桂枝雀が、「落語は緊張と緩和が重要」と語っていたのを覚えています。

 昨日、ラグビー日本対ニュージーランド戦をテレビ観戦しました。スポーツは〝筋書きのないドラマ〟で、落語ではありませんが、いつの間にか緊張と緩和の渦に巻き込まれている自分に気付きました。

 ハーフタイムに、唐突もなく頭をよぎったのは、芝居は〝筋書きのあるドラマ〟で、稽古を重ねるうちに、私は起承転結を自ずと把握して、慣れも出るし台詞にばかりに気が行くせいか、初見で物語を読んだ際に感じた新鮮な心の機微を現すことがおろそかになっているのでは?との思いです。

 改めて自身が観劇に出向いた時を思い起こせば、一期一会の物語に注ぐ私の目には、散りばめられた台詞や演者の動きに、〝エッ!オッ!〟と、良い意味で裏切られ驚かされる展開を感じることが多々あります。

 そう考えると、〝筋書きのあるドラマ〟を〝筋書きのないドラマ〟のように演じることが出来るなら、自然で新鮮なインパクトを与え、観客の耳目を集める肝の一つになるのだろうと考えました。

 テレビ桟敷で、画面から伝わる競技場の熱気も感じつつ、手に汗をしながらてんでに転がるラグビーボールの様な〝筋書きのないドラマ〟を堪能したウィークエンドの午後でした。            アベ

芝居を観ない男たち

 芝居を観に行くと、どこもかしこも女性だらけで男性はちらほら、特にミュージカルは女性優先車両みたい。6月の公演で私が扱ったチケット20枚中男性は4枚。男性は観に行くと言っても実際は来ない方が多い。

 そこで疑問が生じた、「男性は何故芝居を観ないのか」。かく言う私も、若い時は芝居に関心がなかった。日本のフォークロックにハマッていた。これは少数派だと思う。多分男性は野球・相撲等のプロスポーツだと思う。結果が数字ではっきり表せる、白黒はっきりしたものならいいのだ。

 昔、下北沢演劇祭区民劇団で「ロミオとジュリエット」をやった。場面毎に役が替わる、ロミジュリが3組同時登場。元かんじゆく座員曰く「何が何だかわからない」。芝居経験者でもこんなもの。
役者も女性が多いので男性は希少価値でいい役がもらえる。それにひきかえ、男性の役を女性がやらなければならないことだってある。男性たちを芝居に目を向けさせるには、どんなことをしたらよいか?

 因みに私は、50代で妻に誘われて行ったのが始まり。劇場で沢山もらうチラシを見ると興味を引くものがある。底なし沼に嵌まるようにいつしか、、、、劇場の多い東京だから可能だった。そして小劇場で、目の前で熱演する俳優の汗を観ているうちに、錯覚を起こしてしまった。私にもできると!もうあれから16年も経っている。            ヤマ