かんじゅく座の本公演が終わり、6月11日に私は奈良を訪ねていました。奈良県に住む娘の家を拠点に、滋賀・奈良・三重の神社・仏閣そして城跡を巡る旅に出掛けた訳です。
そうした中で少しばかり毛色が変わった訪問先、それが奈良県桜井市にある「土舞台」でした。解説によりますと、日本書記に記事があり、「推古天皇20年(612年)に、時の摂政聖徳太子が、百済人味魔之(ミマナ)に命じて、日本人の少年に妓楽(仮面劇とその音楽)を習わしめた場所。」とのことです。そしてここ「土舞台」には、日本最初の国立劇場があり、国立演劇研究所も併置されていたのです。
さらに日本芸能史に書かれていますのが、「その後、永らく歴史の陰に埋もれていたが、昭和47年に “土舞台” と刻した標石の前で顕彰式典が挙行された。」「その時、森繁久彌が芸能人代表で『我が国の芸能人はすべからく当地に参って各自の芸を演ずべきだ』と挨拶した。」とあります。
場所は住宅地の中の小高い丘の上。舞台や建造物が建ってるわけでなく、有るのは標石と立看だけ。人っ子一人いない静かな広場。小雨が降るなか傘もささず佇んでいると、不思議な気を感じる空間でした。雨脚が強くなり「芸を演ずる」余裕はなくなり、やむなく引き上げました。
その晩宿泊したのが三重県榊原温泉。源泉掛け流しの大風呂は無人。これ幸いと「あの日のトンネル」を声高らかに歌いました。音響効果が抜群でしたね。
「処」は違えど、森繁さんの呼び掛けに応えてワタシなりに「芸を演じた」次第です。「土舞台」との距離がこれでぐっと縮まりました。 ヒコ