今年の名誉都民!

 スイカチームの皆様、「出前公演」千秋楽、お疲れ様でした。

 エマさんが今月、「くちづけ」の公演を案内している文中に「劇場は新宿ど真ん中のシアタートップス。」「演劇人には非常に人気のある劇場で、カリスマ支配人が蒸発したあとは不安定ではありましたが、下北沢の本多さんが支配人となり嬉しい復活を果たしました。」とありました。

 この本多さんとは、言わずと知れた本多グループ社長の本多一夫氏。この〝シアタートップス〟を加えて、現在所有する劇場は9つ。8つは 〝本多劇場〟を含めて、全て下北沢にあります。世界一の劇場主(こやぬし)だそうです。今回は、この本多さんについて記してみます。

 同氏は今年度の東京都名誉都民に選ばれました。顕彰事由は、「個人劇場を数多く運営し、演劇人の夢を支援し続けてきた。」「その活動は演劇界の発展のみならず、下北沢を演劇の街として活性化させることにつながっている。」とあります。

 さて、今年8月の某日。私は本多プロデュースの芝居「続・歌う!ペンション ビーチサイドやまびこ」の稽古場で、本多さんと一緒に立稽古をしていました。本多さんも出演者のお一人。そこにもたらされたビッグニュースが「名誉都民」内定の一報でした。

 この日、稽古が終わった後に、出演者全員がポケットマネーを出しあって、ささやかな花束を贈呈しました。祝賀会はコロナのために繰延になっています。

 同氏の自伝「演劇の街をつくった男」を読みますと、
「わたしは札幌の俳優養成機関に居た時代に~芝居をやりたいのに場所がない~という苦労を知っている。」「だからわたしは演劇が忘れられず、芝居をしたい人たちを応援したい。この思いから劇場経営にのりだした。」と記しています。たぶん、ご本人こそ演劇が忘れられず、芝居をしたい人たちを応援したい気持ちだけで、自分の生き方を変え、私財を投げ打ち、街を変え、日本の演劇が現在の形になる大きな役割を果たしたのです。

 さらに次のような記述もあります。「(新東宝のニューフェースとして俳優デビューしたが)残念ながら夢の途中で会社がダメになって、その後は飲み屋の親父になり、思いのほか儲かって、今はこうして劇場をつくって芝居の世界と関わっています。本当はもっと良い舞台役者になりたかった。」

 10月3日、名誉都民の顕彰式で本多一夫氏の紹介は、
嬉しいことに「劇場経営者」とあるだけでなく「俳優」の2文字が入っていました。
そしてスピーチでは、「今年88歳となりましたが90歳になるまで芝居は続けたい。」と語っています。

 来年80歳を迎える私にとって、なんとも心強い大先輩と芝居をご一緒できた夏でした。
           ヒコ

何でも変身そんな演劇の心を届けたい!

 燃えるような秋色の葉をすっかり落とし、玄関の正月飾りが出番を待っています。そんな師走、今年の後半から稽古に励んできた「花のき村と盗人たち」「タヌキの土居くん」の2本立て公演が、沢山の拍手の中で「みらい館」で幕を開けました。

 初めて経験する出前公演に心を浮き立たせ、無我夢中で台本の文字をなぞっては目を閉じ頭の奥に刻み込む。散歩の道すがら枯葉を踏む音を聞きながら「ありがとさんさんありがとさん」お経のように唱える。時には湯舟の湯気の中で。いつしか台本のセリフが自分の言葉になっていく小気味良さが嬉しくて風と空飛ぶ鳥にも話しかけ、道端のコスモスにはぐるっと回ってご挨拶、花たちの拍手を背に軽やかな足取りはもう夢の中、芝居の中のタヌキの土居くんです。

 仲間と紡ぐ芝居は楽しい。私は土居くん、狸の体型には自信がある。顔も丸顔、尻尾を付けて夜道を歩いたら演技はいらないと友人も納得の役を頂いた。衣装で悩んでいたらお友だちのアカネちゃんから提供された、腹太鼓の中身はこれまた年代物の銅製鍋。尻尾も耳も、みんな同じ団員仲間の温かい思いを背負って稽古は進んでいく。

 一番の難関はタヌキのメイクでした。試行錯誤を繰り返し初めての経験は身も心もタヌキに化ける、それは変身する楽しさを教えてくれました。アァ〜演劇は動物にでも花にも鳥にだってなれるんだ。それを観客に伝えたい!届けたい!

 そんな思いを乗せて、さぁ〜いよいよ出番です。タヌキが1匹舞台に吸い込まれて行きました。〝ありがとさんさんありがとさん、ありがとうならイモムシはたち〟皆さん最後までお読み頂き本当にありがとう!            秋生