芝居を観ない男たち

 芝居を観に行くと、どこもかしこも女性だらけで男性はちらほら、特にミュージカルは女性優先車両みたい。6月の公演で私が扱ったチケット20枚中男性は4枚。男性は観に行くと言っても実際は来ない方が多い。

 そこで疑問が生じた、「男性は何故芝居を観ないのか」。かく言う私も、若い時は芝居に関心がなかった。日本のフォークロックにハマッていた。これは少数派だと思う。多分男性は野球・相撲等のプロスポーツだと思う。結果が数字ではっきり表せる、白黒はっきりしたものならいいのだ。

 昔、下北沢演劇祭区民劇団で「ロミオとジュリエット」をやった。場面毎に役が替わる、ロミジュリが3組同時登場。元かんじゆく座員曰く「何が何だかわからない」。芝居経験者でもこんなもの。
役者も女性が多いので男性は希少価値でいい役がもらえる。それにひきかえ、男性の役を女性がやらなければならないことだってある。男性たちを芝居に目を向けさせるには、どんなことをしたらよいか?

 因みに私は、50代で妻に誘われて行ったのが始まり。劇場で沢山もらうチラシを見ると興味を引くものがある。底なし沼に嵌まるようにいつしか、、、、劇場の多い東京だから可能だった。そして小劇場で、目の前で熱演する俳優の汗を観ているうちに、錯覚を起こしてしまった。私にもできると!もうあれから16年も経っている。            ヤマ

さもない話

 「ふぅ~ん。アッそう!」程度の、さもない話で恐縮至極。出前公演の台本を自宅で広げていた時に、ふと…これは「稽古」か「練習」か?との些細な思いが芽生え、二つの熟語が頭の中でグルグル回る悪い癖が始まった。こんな具合に…「芝居の稽古。ゴルフの練習。」に違和感はなく、「芝居の練習。ゴルフの稽古。」だと腑に落ちないのは何故、などと。

 もう~止まらない。スッキリしたくて、広辞苑に手を伸ばす。すると、「稽古」は武術、遊芸などを習うこと。「練習」は学問並びに技芸などの上達を目標に繰り返し習うこと。とあり、意味に大差はないのであった。

 そこで、もう少し掘り下げて諸々調べると、「稽古」は一般的に指導者がついて行うのに対し、「練習」は1人でもできるという解釈に触れ、あぁ確かにと頷いた。

 加えて「稽古」の「稽」は「考える」を、「古」は「昔」を意味して、元来は「昔のことを調べ、今やるべきことを知る」という意味で、書物を読んで学習することを指していたものが、その後、芸事や武道を習うことを指すようになった由。

 それに対して「練習」の「練」は、「生糸から雑物を取り除いて良いものを選ぶ」ことを表して、「鍛える」「みがく」などの意味を持ち、「習」の字は、「重なり合う羽」「口」の象形から成り、「(繰り返し口にして)学ぶ」の意味を持つ由。

 ここまで調べて、「稽古」と「練習」以外にも、例えば「堅実」と「着実」・「習慣」と「慣習」など、世の中には類義語が数多ある。各々微妙な違いがあろうとも、TPOの流れのなかで使い分けているものだと妙に納得。

 そうこうしてたら、頭の中のグルグルも収まって、また台本に目を落としたという話。お粗末さま。
           アベ