
今後二度とないエマさんと共演した公演。大勢の方々にご覧頂きありがとうございました。改めてお礼申し上げます。
さて出演が決まって10月に送られてきた台本は165頁の大作。私の役は、伊豆七島の一つ新島に生まれ新島育ちで、現在島の診療所に通う老人の役。
いつもの習いでこの老人・青沼康夫の履歴書を書いて役作りをしようとしました。(「与えられた役の履歴書を作る」これはかんじゅく座に入団した時からのエマさんの指導です。)
しかし新島に行ったことがないのでイメージが掴めない。そこで思い切って「新島村博物館」に電話。偶々電話に出た方が同館・学芸員の池田嬢。事情を縷々説明して関連資料を送って貰うことが出来ました。
《送られてきた資料》
1、東京都新島村履歴年表
2、新島村写真集
3、新島村博物館年報5年分
4、十三社神社社史
5、新島Map 等
ダンボール一箱。その後、郵パックで追加の資料。
更にこの芝居の作・演出家の飯田浩志氏が同村を何回も訪問して撮った動画や写真の数々。此れ等を熟読参考にしてどうにか履歴書を書き上げました。
飯田氏に提出して「青沼康夫はこれでいきましょう」とお墨付きを頂き、その後は自信をもって舞台に立つことが出来ました。
頂いた資料から幾つか新島の史実を紹介させて頂きます。
先ず始めに、劇中で横浜桜座の面々が芝居をする「流人墓地」。新島には記録がある分だけで、江戸時代初期から明治4年まで203年間に1333人の流人が来ています。そして流人の墓石は、流人の世話をしていた人たちの好意で維持されてきましたが、今も島の人が大切に守っています。
次は、登場人物の「児童養護施設で育った明美」が持っていた「緑のガラス細工がついたネックレス」。このガラス細工は島で採れるコーガ石(せき)を高温で溶かして作った新島ガラスの細工物。少し説明しますと、新島は島のほとんどがコーガ石でできており、古くから家や壁など建築材料として広く用いられ、島を歩くとコーガ石造りの街並みが見られるといいます。このコーガ石は火山の贈り物で、あとはイタリアのリバリ島でしか採れないという珍しい石です!
そして今ではこのコーガ石で造ったモヤイ像が島内に100を超えてあり、新島から飛び出した像が渋谷駅のモヤイ像を筆頭に全国各地で見かけることができます。
もう1つ、私が演じた「康夫」が第1幕で戦争があった頃の島の様子を語るシーンがあります。調べてみますと、戦時中新島には島の住民の倍、6000人余りの大部隊が駐屯していて、島は沖縄と同様本土防衛の最前線と位置づけられていました。
島にある十三社神社の社史に当時のことが記載されています。「島には米軍の戦闘機による激しい空襲や、B29が落とした焼夷弾での被災があった。もし戦争が長引いていたら、この新島も沖縄と同じような激戦地になっていたであろう」
最後にもう1つ。あまり知られていませんが、自衛隊の唯一のミサイル発射場がこの新島にあります。ミサイル実射が出来る国内唯一の施設で、2024年には1000キロの射程を飛ぶことに成功したと当時の新聞に大きく掲載されました。
「こんな小さな島にもね…」と劇中「康夫」のセリフがありますが、こうした島の歴史と現実を噛み締めながらセリフを超えた何かを届けようと努めました。
「モヤイ」とは新島の方言で「助け合う・力を合わせる」という意味だそうです。池田学芸員にはすっかりこの「モヤイの精神」で助けて貰いました。
もてなしの島、新島。何としても新島には一度お邪魔したいと熱望しているところです。
ヒコ

