「のぼるとゴロロ」の出会い

 「月曜日は嫌いです」の台本の読み合わせを始めたのは確か10月の終わり。意味不明の子供の会話に何の興味も、思い残る言葉も見あたらず時間が過ぎた。ましてこれを演じる事になるとは思わなかった。

 やがて少年たちのアメリカ映画「スタンドバイミー」を見る事になり、漸くこの台本の意図することが朧げながら見えてきた。その時改めて自分の幼少期を振り返り友だちがほしいと思った事、その友だちがいじめにあっていた事、野球少年であり赤胴鈴之助であった時代が甦ってきた。そしてついでに自分がマセタ餓鬼であったことも思い出した。

 懐かしさと同時に「かんじゅく座」に入ってからの自分はまるであの少年時代に戻ってしまっていた事に気がついた。楽しかった。鎧も見栄もカツラも脱ぎ捨て「真の自分を表現していきたい」そして等身大のゴロロになってみたいと向かい合った時、誰かと一緒にいたい、友と出会った喜び、分かち合う思いやり、そして別れて行く虚しさをゴロロの中に見た思いがした。

 それからだった、「月曜日は嫌いです」の物語が何を語りかけているのか、ゴロロは何を表現すればいいのか、のぼるの何を理解すればいいのか「そうだ身も心もゴロロにならなければ」。

 結果はともあれ、台本を何度も何度も読み返し、作者の意図を読み取るところから始めよう!アドリブに走るのはその先だ。今はのぼるといっとき友だちになれた充実感と、あの時初めて食べたアイスクリームの味と、心をひとつにした思い出を、手作りの衣装にも込めて、ずっと浸っていたいと思った。     ゴロロになった秋生

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA