作品「パリテ」が放つもの

 6月の全国シニア演劇大会で上演した「パリテ」を、秋の出前公演に向け再度稽古中です。

 作品「パリテ」には女性の社会進出やLGBT問題等、現代社会が抱える課題が織り込まれていますが、主題は多様性の受容や性差の解消、そして共生だと私は考えます。

 動物の雌雄性別を言う生物学的差異。 職業適性・価値志向の違い等、社会的・心理的な差異。精神的・肉体的な差異。事程左様に、世の中は多様性に満ちて広義の性差が多数存在しています。

 社会的・心理的な差異に関しては、特に日本において女性の社会進出が中々浸透せず、男性優位の社会が脈々と何故継続して来たのか?と思いを致すと、案外そのルーツは、象形文字の成り立ちに見てとることが出来るような気がします。男という文字は、田は農地を表し、力は農具のすきの形で、農地を耕す人を男と言ったそうです。それに対して女という文字は、ひざまずいて、服のそでを前で重ねてお祈りしている形で、神に祈りをささげたり、おはらいをする人を女と言ったそうです。

 いにしえより、自然に男女の役割りが刷り込まれ、その思いが踏襲されて来たのではとも思いますが、1972年に男女雇用機会均等法も施行され、加えて最近は育児休暇なども市民権を得るようになって、男女が担う役割りも少しずつ変化を遂げていると思います。

 精神的・肉体的な差異に関しては、先般のパラリンピックを観戦していて感じることがありました。例えば電車で、ハンディを抱える方が乗車して来た際、健常者の私は席を譲ります。(もうすぐ私も、譲られる方になるのかもしれませんが!)

 しかし、パラリンピックで躍動したアスリート達の、ハンディを感じさせない姿勢からは、日頃健常者が当たり前に慣れて忘れがちな“生き方を見直す心の席”を、逆に譲られているような気がしたものです。

 何れにしても、多様性の浸透や性差の解消をする術を考えた時に心を過るのは二つ。若かりし頃自動車教習所でハンドルを握る心構えとして聞いた「常に“互譲の精神”を持って!」という言葉と、小学校で合唱した「♪僕らはみんな生きている~手のひらを太陽に透かしてみれば~みんなみんな生きているんだ友達なんだ♪」という歌。そして、そこに根差している、”譲り合い“と”平等“の気持ちです。

 作品「パリテ」は、私に、より一層多様性や性差について考えるきっかけをくれました。そして心のアンテナも増やしてくれた気がするのです。この舞台が、老若男女を問わず観る方の気持ちに、ささやかにでも何かを放つことが出来れば幸いです。           アベ

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