狂言に触れて

「命に関わる危険な暑さ!」と、連日声高に報道されている夏。その暑ささえ吹き飛ばす、「狂言」の基礎講座を、金太郎&スイカの両チームとも、今年も受講した。

主眼は勿論、発声方法の修得。マイクなどなかった将軍足利義満の時代に、天才、観阿弥・世阿弥父子により大成され、約700年の歴史を有する能楽の発声方法。昨夏も学んだ声を神の居る地に吐き、遠くへ届ける日本人特有の発声に、心新たに臨んだ。

講師は、去年もご指導を受けた能楽師狂言方大蔵流の川野誠一先生。稽古の導入部は今年もまず構えから。力まずに!との指導にも、体得するのに一苦労。膝から腰に掛けて〝く〟の字を描き、地に傾けた骨盤を力点に、喉を支点に、そして作用点としての発声。重心を移した足の指先には無意識に力がぁ! 加えて、口角を上げ笑顔で喉を開いて、下に向けて声を出す。相変わらずこれって結構大変…エッ!もしかして私だけ?

題材は「狂言『禰宜山伏』の禰宜の祝詞」。その内容は、仏(山伏)と神(禰宜)とのいさかいの風刺で、両者どちらが立派であるかを大黒様に説くやり取り。最終的には神(禰宜)が大黒様を振り向かせて勝利に至る口上である。

横隔膜呼吸法による臓器振動を実践しつつ、先生に続き全員の〝唱和〟から始まり、題材を細分化して順番に発声する〝調子渡し〟へと稽古は進む。〝調子渡し〟では、耳を澄ませ前者のトーンやリズムを引き継いで(場合によっては修正して元に戻したり。)、なめらかな流れが求められるが、音程やリズムやブレスに配慮する点は、歌唱と同じだと感じた。続けるうちに、段々と皆の声が地から這い上がるように連なっていると思えた時、〝なんちゃって幽玄の世界〟に少~し触れた気分になった。

私の普段の発声は、息を吐く時に腹筋を絞る。しかし、今回の指導は、〝発声時腹を膨らませる〟とのこと。この点に大きな差異を感じ質問。先生曰く、筋力で維持するのではなくて、きちんと構えが整えばそうなる。因みに、通常の演劇でも歌唱でも、発声法は同様とのこと。

伝統芸能に関する知識が浅い私は、ここぞとばかりに、先生と会話。結果、以下のような基本的な知識を拝聴。今後能楽を観劇する際、着眼して行きたい。

◼️能楽とは、常にセットで上演される能と狂言の総称である。

◼️能楽とは、陰と陽の世界である。

◼️狂言は①陽の芸で陰の息(物をさます息)②喜劇

◼️能は①陰の芸で陽の息(物を温める息)②悲劇

と、まぁ、構え・発声・唱和・調子渡し・耳学問と、心身共に豊かになった基礎講座。また来年もと…期待しつつ、企画立案のエマさんと、それに応えて下さった先生に感謝の夏ぅ~!

アベ

演技の旅も終わらない

「台本から顔をあげ、相手役と対面し『対話』を成り立たせるためにあえて従来の台本ではなく、即興をベースに!」との度重なるエマさんからの発信に意義を感じ、新たな挑戦だと大いなる興味を抱いて臨んだ、5月公演への稽古と本番。

緒についた頃は、シーンのプロットに従い時間の制約もない中、現役時代のあの頃の居酒屋の風景が眼前に広がり、言葉が自然に湧き出して来て、素直に面白かった!但し、演者が多い家族チームやパン屋チームのシーンでの即興の擦り合わせは、ご苦労が多かったであろうことは想像に難くない。

即興を重ねるなか、エマさんからは、 ①即興はスタート前の準備が重要 ②シーンが始まる前はどういう心境か考える ③シーンでの役の目的や相手との関係などの設定を具体的に組む ④即興では何か喋らないとの思いに駆られ、会話が冗長になりがちな点に注意…etc.と、アドバイスが。

顧みれば、即興での台詞は、自分の立場や相手との関係性をくどく説き、あたかも「いにしえの昔の武士の侍が、馬から落ちて落馬して・・・」的に、懸命に同じことを繰り返していたような気もする。改めて本番の動画を見直すと、多くを語らずとも一連のシーンの流れが個々の関係性を紐解いてくれ、説明的な台詞は、削ぎ落とすことが必然だったことに気付く。

期間中に明樹由佳さんの稽古を受けた際、エマさん同様、このシーンの目的は?関係性は?と問われていたことを思い出す。加えて、彼女から次のような〝ゼロ幕〟という考え方も聞いた。「演者は個々に豊かな人生経験を積んでいるわけで、各自が抱えるその人生のバックボーンを加味して演じることが重要で、これは台本に従い及及として台詞を思い出している状態では無し得ず、即興でこそ得られやすい。」と。その初耳の言葉になるほど!と納得。ちなみに、ゼロ幕に関しては劇団四季に関連するコメントに、【・一つ一つの行動に目的を持つ ・一つ一つの行動に意味を持つ ・一つ一つの行動に理由を持つ事。これができない俳優は舞台上に存在できない。】と、あったのも目にした。

かんじゅく座5年生の私は、四回目のポケットの舞台。ふと思うのは、良い意味で今回が一番脱力していたような気がする。あの照明と効果音の中、確かに喧騒の居酒屋と宵の新宿中央公園に、実際に身を置いていると感じながら板のうえにいる自分がいた。即興を重ねたからか?

即興でも、台本があっても、目的&関係性&人生のバックボーンを念頭に臨んでいけるようになれるかどうか?つくづく〝演技の旅も終わらない〟と感じる終演後一ヶ月。

アベ