脱!大根役者

①文頭を明確に。

②脚本の音読ではダメ。

③人の台詞や動作に都度反応し、舞台上でビリヤードの玉の如く連動すること。

④台詞を発する前の自分は、それまで何をしていて、どういう状況にあったのかを考えて気持ちを作る。

⑤発する台詞は、対峙する相手に向けてのものなのか、舞台上の皆に向けてのものなのか、はたまた客席に向けてのものなのか、誰に対して発するものなのかを常に意識する。

⑥感情や環境の変化に合わせて、発声の息を変える。

⑦だらだらと平板で発声をせず、強調すべき箇所はしっかり言葉を粒立てる。

等々(まだまだ山ほどありますが)、主宰からのダメ出しを吸収・理解し演じていても(つもりでも?)中々に奥深く、一朝一夕では身に付かない。我ながら情けなくもあり、ファイトの源泉にもなるのです。これが!

 折に触れ、自分の稽古や本番の動画を観ると、満足の域には程遠く、「あぁ、なんて下手くそ。大根!」と、深いため息が口をつきます。

 そんな時、ん?「大根」ってナニ?の疑問が沸々と。物の本によれば、諸説あるようですが、「大根は食べても滅多に食あたりすることがないことから、食べてあたったためしがない⇒役者として当たらない。」という連想から生まれたとの説もあるそうです。

 かんじゅく座に入団して以降、演劇や映画の観賞で、従来は主役にばかり注いでいた視点が、自然と脇役の動き・表情・手の位置などにも向いていることに気付きます。

 昨秋の「ねこら」もそうでしたが、現在稽古中の「パリテ」においても、舞台上に多数の演者が同時に登る場面も多く、台詞を発せずともいかにその場の一員として空気感を醸成出来るのか、下手くそなりに試行錯誤の連続です。

 残念ながら、遅々として上達はしませんが、観客からは絵画のように舞台全体が見渡せる訳で、それを構成する主役も脇役も、誰一人として物語には欠かせぬ存在なのだと肝に命じ、私は「脱!大根役者」を目指し場面に溶け込む努力を重ねて、これからも稽古のたびにもがいてみます。            アベ

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